北海道で唯一の重要文化的景観である「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」に選定されている平取町では、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(通称、アイヌ新法 2019年)に基づき、アイヌ文化の振興と理解促進が国策として推進されています。
この法律に先立ち、平取町では2001 年に「IWOR ネットワーク構想」が策定され、自然と人間の共生、多民族・多文化共生のモデル地域の実現が進められてきました。この構想をさらに推進すべく、2024年度より平取町は、エコミュージアムの理念を導入した「シシㇼムカ・IWOR博物館」構想を打ち出し、新たな取り組みを進めています。その内容は、沙流川流域に受け継がれてきたアイヌの伝統的生活空間(イウォㇿ)を復元し、アイヌ文化に関心を寄せる国内外の人々への積極的な情報発信すべく、現地における解説(インタープリテーション)の仕組みを構築することで、民族共生象徴空間「ウポポイ」と対をなすフィールド型の博物館(エコミュージアム)の実現を目指そうというものです。
また、文化的景観の選定は過去三次にわたり、現在、平取町の文化的景観の完成形を示すための四次選定が進められています。
そもそも「文化的景観」は、ユネスコの世界遺産条約に基づいて確立された遺産概念であり、代表例とされる棚田や葡萄畑のような田園景観(=有機的に進化する景観)ばかりでなく、日本で言う遺跡がつくり出すような「化石の景観」や、庭園のような「意匠された景観」、信仰の対象とされる山岳景観のような「関連する景観(みなしの景観)」を内容とする非常に広汎な景観を含むものの見方である。
日本の文化財保護法は、このユネスコの発想をヒントに、従来の文化財5類型、すなわち有形、無形、民俗、記念物、伝統的建造物群という枠組みでは捉えることのできない、有機的な存在であるところの「地域景観」の価値を説明し保護すべく、6番目の類型として文化的景観を導入した。しかし、先んじて史跡や名勝、伝統的建造物群といった面的な遺産概念を有していた日本の文化財保護システムからすれば、上記ユネスコの文化的景観は、それら既存概念と一部重複するものであった。検討の結果、平成16年の保護法改正で誕生した「文化的景観」は、主として地域の生業との関わりが生み出した景観にそのテリトリーを特化させることとなった。その意味で既選定の文化的景観の多くは、棚田、段畑や集落、農山村、町場、城下町といった単一の生業や居住システムとの関わりでその特質を説明できるものが多い。
しかし、本平取の文化的景観は、アイヌの人々が畏れ大切にして手をつけなかった自然の地形や草木からなる景観、すなわちユネスコの規定するところの「関連する景観(みなしの景観)」を基盤、背景としつつ、そこに住み続けてきたアイヌ民族の居住がつくり出した景観(化石の景観と有機的に進化する景観)、そしてそこに入ってきた近代開拓による農業(生業)が造出した景観、これらが併存し重層する価値、換言すればそれらがインテグレートされた価値であり、生業との関係のみでは説明できない価値を評価しようとしている。このことは、前述の理由で対象とする景観テリトリーの限定を余儀なくされた日本の文化的景観行政に対し、その制度設立当初から問題を投げかけていたことを意味する。これは、現在においても本制度の根幹に投げかけられている課題と言えよう。
以上のような問題認識に立ち、本調査は、二次選定候補地に留まらない平取の文化的景観が展開すると考えられる全ての範囲、すなわち平取町全域の文化的景観としての価値を、上記の視点から明らかにすることを目標として実施された。最終的には、これら価値の広がる全ての範囲が重要文化的景観として選定され、広く地域住民および国民に認知され大切に継承されていくことを願うものである。
(平取町『文化的景観調査報告書 二次選定申出調査版(※1)』西山徳明「巻頭言」2016.3より)
平取町の『アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観』は、文化庁の定める8つの選定基準の内、(2)茅野・牧野などの採草・放牧、(3)用材林・防災林などの森林の利用、(5)ため池・水路・港などの水の利用、(7)道・広場などの流通・往来、(8)垣根・屋敷林などの居住、の4つのカテゴリーに関する景観地を複合的に内包する壮大な文化財の「構想」である。ここで「構想」という言葉を使うのは、本申請書にも述べているように、最終的には平取町全域を重要文化的景観として選定することを目指しており、近代開拓と調和しつつ貴重に継承されたアイヌの伝統を示す景観を未来永劫に亘って保存していこうとする、日本政府と平取町そして地域住民との協働プロジェクトにおいて、今回の三次申請は一過程に過ぎないからである。
折しも本平成30年度は、文化財保護法が大幅に改訂され、文化財の総合的把握に基づく「文化財保存活用地域計画」の策定や、従来の個々の文化財に対する「保存計画(文化的景観・伝統的建造物群)」と「保存管理計画(有形・史跡等)」が「保存活用計画」に一本化されその策定が法定化されるなど、社会の要請である文化財の裾野の拡大と、それらの活用による地方創生や国家財政健全化への期待が高まり一気に動く重要な節目である。こうした文化財保護制度の改革の中で先頭を切って展開しているのが、まさに文化的景観の保護制度でありその概念である。
その理由を述べたい。保護法は文化財を6つの類型で定義しているが、文化的景観は他の5類型すなわち有形、無形、民俗、記念物、伝統的建造物群の全てまたは一部を構成要素としており、かつ面的に展開する文化財であるため、明らかに概念の次元が他類型とは異なると言ってよい。近年登録されている世界文化遺産の多くや日本遺産、あるいは歴史文化基本構想における関連文化財群(の保存活用区域)の価値説明手法は、いずれもその基本的な考えにおいて文化的景観と軌を一にしている。それは、多様な類型の文化財あるいは従来の文化財指定・選定・登録の概念では拾い切れなかったような文化的資産を総動員しなければ、こうした文化遺産や文化財の価値や意味は説明できないという点である。ただそうであるからこそ一方で、文化的景観の継承を考えることは、こうした広範な資産を保存・保全することの困難さに直面する。政府や自治体の限られた文化財予算ではその経費を賄いきれないことは自明であり、地域住民や民間企業との協働に基づく継承活動がセットで議論されなければならない。つまり、あえて文化的景観を一つの文化財類型に位置づけ、そうした先端課題を具体地域で一つ一つ解決していこうとしている取り組みであるということが、改革の先頭に立っているとする所以である。日本において文化的景観の価値付けと継承の方策を多様な自然・社会コンテクストのなかで研ぎ澄まし、世に問うていくことの意義は大きい。
さて翻って平取の文化的景観についてはどうか。文化審議会の議論では、前記の「構想」的な部分については高く評価できるものの、既選定地区に現在地域に住んでいる人々の活動やそれら活動と文化的景観との関係が見えるところがほとんど含まれていない点が惜しまれるとの意見があった。今回の三次申請も二次選定地区を補完する森林地域であり、その要望に応えられているとは言い難い。
この壮大な文化的景観の保護に取り組まれる関係者各位のご尽力に対し深甚なる敬意を表するとともに、「構想」に留まらない明日の地域や日本の姿を国内外に示す文化的景観の代表としての今後の展開を大いに期待したい!
(平取町『文化的景観調査報告書 三次選定申出調査版』の西山徳明「巻頭言」2016.3より)
平取町の『アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観』の重文景選定は、日本に制度ができた最初期(平成19年7月)であり、この際に今日につながる価値付けのストーリーの枠組みが示された。それは、アイヌの人々が畏れ大切にして手をつけなかったポロシㇼやチノミシㇼ等の山容や草木からなる自然景観、すなわちユネスコ世界遺産の作業指針が規定する「関連する景観」を基盤・背景とし、そこに継続されてきているアイヌの居住がつくり出したチャシ等の「化石の景観」とコタン等の「有機的に進化する景観」、そして近代開拓による農林業や牧畜の暮らしが造出した生業景観(有機的に進化する景観)が併存し重層するというものである。筆者の理解では、重層するというよりむしろそれらがインテグレートされた価値であり、現代の生業との関係のみでは説明できない価値を評価しようとしているように見える。しかし実際に一次選定時に保存対象としてリストアップされた景観構成要素は、一部の森林と河川、放牧地と単体の学校跡地や歴史的建築物に限られ、人の営みが見える居住地や農地は含まれなかった。
それに続く二次(平成28年3月)、三次(平成30年10月)選定でも、対象は上記要素
の一部を充実させる国有林と民有林の選定にとどまった。そのため、次回四次の追加選定
に先だって、文化庁より「価値を説明する全ての要素を含むこと」、そして「(範囲としての)平取の文化的景観の最終形を示すこと」が求められた。ただこの間、平取町も手をこまねいていたわけではない。三次選定調査では、河口域と本流上流域(いずれも日高町に属する)を除く沙流川流域の大半を占める平取町全域を将来的に文化的景観に選定することを視野に入れた全町域の景観特性および景観構成要素分布の把握調査をおこなっている。
結論としては、次回四次選定において全町域を選定対象とすることは現実的ではないと判断し、全町調査から得られた知見を用いて、いくつかの考え方を定め、選定候補地を決めた。その考え方の基本は、
とするものであった。調査報告書では、この考えに基づいて価値説明のストーリーを加筆・補強し、その価値の展開する市街地や集落域も含む一定範囲を、現時点における平取町の文化的景観の最終形として示した。現在は関係者の同意を取得するための現地説明会等の段階にきている。
四次選定の結果がどの範囲となるのかは予断を許さないが、上記の全町調査によって、平取町全域の文化的景観としての価値が理解できた。さらには日高町に属する河口域や上流域も含めた本来の沙流川全流域の文化的景観の価値や魅力を地域内外の人たちで共有し、世界にも発信していくことが、アイヌ文化振興の大きな展開につながると筆者は信じている。
(平取町・北海道大学観光学高等研究センター『アイヌの伝統を基層にした多文化な景観
―北海道平取地域の文化的景観に関する論説集―』2024.3より)
「イウォㇿ」は、アイヌ語で「奥山、狩場」などの意味を持った言葉です。具体的にはコタン(集落)に住む人々が衣食住に必要な自然素材を採取するための領域(森林や河川など)を指しています。この概念は、平取町の文化的景観を読み解く上で重要なもので、泉靖一の「伝統的生活空間」という定義を用いています。
「アイヌは、川のことを海から山に登って内陸に入っていく生き物として見ている」
「(アイヌの世界観において)熊は山を司る神とされているが、これと少し違うのは、川を司るのはそこに住む動物ではなく、アイヌの集落を中心とした川の流域を管理し、すべての淡水をつかさどる慈悲深い水の女神(Wakka-ush kamui)がいるということである」
(出典:ハン・カン『アイヌの口承文芸によるデスティネーション・イメージの構築に関する研究〜平取町を事例として』北海道大学修士論文 2023.3)
沙流川流域は、古くから暮らしてきた人々の生活の遺構が残され、数多くのアイヌ研究やアイヌ文化復興の取り組みが実践されてきた地域であり、平取町の景観は文化財(重要文化的景観)として選定されています。「シシㇼムカ・IWOR博物館」は、このような沙流川流域に受け継がれる実際の伝統的生活空間において、アイヌ文化に視線を注ぐ国内外の人々への積極的な情報発信と、現地における解説(インタープリテーション)の仕組みを構築することで、民族共生象徴空間「ウポポイ」と対をなすフィールド型の博物館(エコミュージアム)の実現を目指すものです。
アイヌ文化を理解するテーマとは? ここでいう「テーマ」とは、来訪者にこの地域で感じとってほしいストーリーです。地域の歴史文化を伝える上では、「どこに何があるか」よりもそれらに触れることで「どこで何が学べるか」といったことからコンテンツを整理する必要があります。現在、平取町においては、「シシㇼムカ・IWOR博物館」の具体化に向けて、下記の3つのテーマの検証と、それらのテーマに基づく解説の仕組み構築に向けて議論しています。
テーマ1 アイヌのコスモロジーを通して見る沙流川流域の自然
沙流川流域は、プレートの衝突により形成された日高山脈の最高峰「ポロシリ」から流れ出る沙流川水系が独特の地質を削り出しつくり上げたもので、険しい峡谷や河川の蛇行、高低様々な姿を見せる河岸段丘などの地形を特徴とする。アイヌの人々は、こうした特徴的な自然地形にカムイ(神)そのものの姿やカムイの残した物語を見出し、名付け、祈りを捧げ、語り継いできた。
テーマ2 「イウォㇿ」に展開するアイヌの伝統的生活文化
アイヌは伝統的生活空間「イウォㇿ」の環境の下で独自の生活文化を築いてきた。狩猟採取は、大規模な集落を形成しないアイヌが生活必需品である食料や生活用具の材料を得る手段であるとともに、自然物に姿を宿すカムイ(神)と交流する手段でもあった。そうしたアイヌの暮らしや精神性は、土地土地の口承文芸や伝統芸能として継承され、今日まで引き継がれている。とくに装飾を施されたイタやアットゥシなどの工芸品は、古くから交易品として愛され、時代によって顧客を変化させつつも現代まで継承されている。
テーマ3近代開拓とアイヌ文化復興の取り組み
近代に入ると、沙流川アイヌの人々にも生活の大きな変化が強いられた。沙流川流域の農業開拓では、一部でアイヌと和人の協働により進められた事例もあったが、アイヌ文化の著しい衰退は否めず、これを危惧した学者や研究者は、昭和初期より二風谷を拠点として研究活動を展開した。戦後、治水事業として始められたダム建設が、さらにアイヌの歴史文化を著しく損なうとして社会問題になり、これが沙流川流域のアイヌ文化復興・振興の活動をより高次のレベルで展開する契機となった。近年では、アイヌ新法の制定によりアイヌ文化の復興がさらに広く進められている。
※1: 平取町・北海道大学観光学高等研究センター『アイヌの伝統を基層にした多文化な景観―北海道平取地域の文化的景観に関する論説集―』2024.3(pdfファイル:3.9MB)
※2: 平取町『平取町文化的景観保存計画書 三次選定申出版―アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観―』(PDFファイル: 13.7MB)