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格子状防風林(根釧台地)

プロジェクトサイト:格子状防風林(根釧台地)

■宇宙からも見える格子状防風林の重要文化的景観への登録をめざす

道東の中標津町・別海町・標津町・標茶町の4自治体にまたがる根釧台地、この北海道最大の平地に広がる格子状防風林はおそらく、人が自然に働きかけてつくり出した文化的景観としては、宇宙からもその姿がわかる唯一の存在でないかと思います。台地のほぼ中心に位置する中標津町では、2004年に文化財保護法の改正によって文化的景観制度ができて間もなく、「中標津の格子状防風林保存・活用事業」の名で選定に向けた調査が実施され2006年には報告書も作成されました。しかし当時は町内の合意形成が整わず選定申請は見送られた経緯があります。

根釧台地の格子状防風林
(画像提供:中標津町教育委員会,画像協力先:アジア航測株式会社)
根釧台地の格子状防風林 (画像提供:中標津町教育委員会,画像協力先:アジア航測株式会社)
(Google Mapより作成)
(Google Mapより作成)

その後約20年弱が過ぎた中標津町では、文化財保存活用計画の文化庁認定を契機に、改めて格子状防風林の保存活用に関する取組みへの気運が高まりつつあります。そこで構成自治体である他の3町にも声をかけ、任意の団体「根釧台地の格子状防風林と酪農景観の重文景選定をめざす会」を結成し、格子状防風林の包括的な保存と活用を目指しています。この壮大な取組みに参加するなかで、私は、格子状防風林の魅力や価値、魅力に気付く次のような3つのストーリーを考えてみました。

まず私を驚かせたのは、格子状の森林の成り立ちでした。当初は、根釧台地には広大な裸地(草原や湿地)が広がっていて、そこにある時期一気に、格子状となるよう植林してつくり上げたもの(植林)だと信じていました。しかし実際はそうではなく、もともと広がっていた原生林の地から、その原生林の樹木を伐採することで農地や居住地を方形に削り出していったものでした。しかもいろいろな入植地から殖民区画の設計図のみを頼りに開墾を始め、現在の姿を見せるまで約百年間の時間をかけて・・・。つまり格子状の森はもともと原生林であり、考えていた「図」と「地」は全く逆だったのです。

そうした素性をもつ防風林ですが、やがて国有林として林業の施業対象となります。ですから皆伐されて整然と単一樹種で植林された森もありますが、なかには原生林の姿を残す鬱蒼とした森や老木、巨木も残されていて、そこには多様な生態系が息づいていることを地元の研究家は教えてくれました。格子状の人工的なデザインからは想像もできない森の景観や動植物たちの息づかいが秘められているのです。この見た目とのギャップにも私は強く惹きつけられました。

ストーリー3:   格子状防風林の幾何学的なグリットとは別の有機的な論理で展開する人の暮らし

格子状防風林を空から眺めていると、京都の碁盤目の町割りやニューヨークのグリッド(ブロック)をついついイメージして、この格子状の防風林の方形ごとの単位で地域コミュニティが展開していると思い込んでしまいます。しかしこれも実は違っていて、20世紀初頭から徐々に始まる入殖では、全国様々な土地から地縁集団でやってきますが、設計された格子とは関係のないもっと有機的な区画ごとに配置されていたようです。それぞれの入植地ごとの村々はルーツとなる東北や九州などの生活文化や信仰形態を持ち込みましたので、隣り合う村ごとでも、ずいぶんと異なる個性をもつ暮らしやお祭り、食習慣や景観が展開したようです。そうした村々は互いに「〇〇市街」と呼び合い、助け合い競い合って発展していきました。そうした時代の名残が、いまでも格子状防風林の中に佇むコミュニティの中に継承されているのです。

約百年をかけて宇宙から見えるようになった格子状防風林

明治期に入るまでその大部分が原生林で覆われていた北海道、その東に位置する根釧台地に広がる格子状防風林(great green grid)の文化的景観は、約1世紀にわたる開墾と営農によって有機的に進化し続けてきた景観であり、その規模は約20万ヘクタールに及びます。100間(180m)幅の防風林を原生林から削り出して正方形を基本とした格子をつくり、その間の升目となる開拓地に配した農地や宅地を守るという壮大な構想が実現した姿でした。

根釧台地への入殖は全道の開拓の進みと比べては遅く、1870年代前半に開拓顧問として北海道に滞在したお雇い外国人の一人、アメリカ人技師ホーレス・ケプロンの助言に基づき、佐藤昌介が中心となって計画し、北海道庁が開拓のために制定した区画割りに基づき、20世紀に入ってから始まりました。

この区画を制定してから120年以上が過ぎた今、全道で実践された殖民地区画による開拓のうち、一団として継承されて明らかな歴史的な重層性を見出しうるのは、中標津、標茶、標津、別海という隣接しあう4町にまたがる根釧台地のみです。格子状防風林は最長で27km、その総延長は648km、総面積は15,708haにのぼり、今も人々の生活や基幹産業である酪農を中心とした農業を守り続けています。

この景観は一気呵成につくり出されたものではなく、またあるひとつの地点から広がったものでもありません。標津岳をはじめとする知床に連なる北辺の山々に向かうように、開拓の手はいくつもの土地に時を同じくして入りました。これらの営みが次第につながり、当初は開拓が困難と判断されて殖民地区画の対象から除外されていた土地も、20世紀後半には開拓の対象となります。そして最後の四半世紀、耕作機械の普及を背景に、格子状防風林や河畔林がくっきりと浮かび上がり、その間で酪農を営む現在の景観が完成したのです。

幾何学的な格子状防風林と有機的な河畔林が独特の美しい景観を生み出しています (撮影:西山徳明)
幾何学的な格子状防風林と有機的な河畔林が独特の美しい景観を生み出しています (撮影:西山徳明)

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