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 Conservation of Historical Village and Town
歴史的集落/町並み

妻籠宿/長野県、内子町八日市護国/愛媛県
「町並み保存の原点は観光開発であった」

日本におけるいわゆる「町並み保存」運動は、1960年代末からいくつかの地域で動きが始まり、
70〜80年代に妻籠をリーダーとして全国的に展開した。
自然保護の運動と同様、この運動も町並みを文化財として保護する高邁で原理主義的な運動である
かのように思われがちだが、実は少し素性が異なる。
この運動を語るに欠かせない初期のリーダーに、妻籠の小林俊彦、内子の岡田文淑、足助の小澤庄一の3巨頭を挙げることができる。ところがこの3名とも、保存運動立ち上げ当時は役場の職員で、しかも皆、観光担当者であった。
彼らは、特に示し合わせたわけではなく、過疎が激化する郷里が生き残るには、残された我が町最後の資源である「歴史的町並み」を保存し観光に活用するしかないという発想に、ほぼ同時期に取り憑かれたのである。

小林氏が、保存の「理」とその活用による経済的な「利」を同時に説いて住民を説得した話は有名である。
町並み観光の先進地であるとして、80年代末に筆者が足繁く通った妻籠宿を久々に訪れた。
かつてもそうであったように、休日の旧中山道は芋の子を洗うような混雑ぶりで、
この初期のリーダーたちの一か八かのチャレンジに思いを馳せたとき、どこかホッとしたような気持ちになる。

内子の町も、朝の通りを登校する中学生たちが、電柱のない通りの軒下を出たり入ったりしながら楽しげに歩いていた。
不意にかけてくれる「おはようございます」という挨拶の声が、どこか誇らしげに聞こえた。

【内子八日市護国】昼は観光客で賑わう内子の町並みも、朝夕は中学生の通学路。 無電柱の町並みでは、軒下の空間が子供たちを抱きかかえてくれる。
【妻籠宿】保存を続けた40年で、宿は減り土産物屋や飲食店が増えたというが、観光客たちは木曽の山奥で一時、江戸の宿場の空気を味わえる。
【妻籠宿】奥谷郷土資料館では、世代が代わっても、昔ながら名物の語り部おばちゃんが囲炉裏端で熱く語ってくれる。

 

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竹富島(沖縄県八重山郡竹富町)

1985年~
歴史的集落・町並み(伝統文化建造物群保存地区)研究

調査で初めて竹富島に入ったのは学部生時代、伝統的建造物群保存対策調査のために派遣された1985年です。
その後も1988年、国のいわゆる「リゾート法」成立直後で沖縄じゅうがリゾートホテル開発に揺れるなか、
島の観光動向や開発を巡る調査と「第11回 全国町並みゼミ竹富大会」の支援に訪れました。

また1992年には、環境庁による「竹富島景観保全整備検討委員会」のため、全島の土地利用や人口・社会調査に、
1993年には「竹富島景観形成マニュアル」(竹富町教育委員会)策定のための集落および家屋の実測調査に、そして
1995-6年には「竹富島道路維持管理・交通システム計画」(竹富町教育委員会)策定のための調査と住民協議に関わり、
1998-2000にかけては、伝統的建造物群保存対策見直し調査のために、日本の伝統的建造物群保存地区研究の権威であった
故 宮本雅明先生(当時は九州芸術工科大学)と入るとともに、
「竹富島まちなみ館」の設計・建設のため、頻繁に島を訪れる機会を得ました。
2006-2008には、伝統的建造物群保存地区保存計画および竹富島景観形成マニュアルの改訂のため、何度となく島を訪れて
住民の方々と意見交換を行いました。
2012年からは、伝統的建造物群保存地区等保存審議委員を拝命して、これまで得られた知見を島の景観保存とまちづくりに生かすべく、活動しています。

  1. 『竹富島の民家と集落(沖縄県集落景観保存整備計画調査報告書別冊)』竹富町教育委員会(1985年)
  2. 『竹富島景観形成マニュアル』竹富町教育委員会(1994年)
  3. 『竹富島道路維持管理・交通システム計画』竹富町(1996年)
  4. 『上勢頭保邸』基本設計、竹富島の個人住宅(1997年)
  5. 『竹富島の集落と民家─竹富島伝統的建造物群保存対策見直し調査報告書』竹富町教育委員会(2000年)
  6. 『竹富町竹富島重要伝統的建造物群保存地区竹富島まちなみセンター(通称 竹富島まちなみ館)』基本設計、文化庁(2000年)
  7. 『竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区保存計画/竹富島景観形成マニュアル(改訂版)』竹富町教育委員会(2008年)

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堀内地区/平安古地区/浜崎/佐々並市(山口県萩市)

はじめて萩に入ったのは、1998年より2年間、萩城下の港町である浜崎地区の伝統的建造物群保存対策調査で、1999年からは同地区に街なみ環境整備事業計画策定のための地元住民の方々への度重なる説明会、そして協議をおこなった。2001年には、故 宮本雅明先生(当時は九州芸術工科大学)とともに同地区の伝建保存計画の策定を支援、2002年より萩市伝統的建造物群保存地区保存審議会委員(現在に至る)に。2002年から2年間、堀内・平安古地区伝統的建造物群保存地区の見直し調査を宮本先生、堀賀貴先生(九州大学)とともに実施。2006年から2年間、宮本先生とともに、旧萩往還沿いの宿場町である佐々並地区の伝統的建造物群保存対策調査を担当。

  1. 『萩浜崎:萩市浜崎地区伝統的建造物群保存対策調査報告』萩市教育委員会(2000年)
  2. 『浜崎地区街なみ環境整備事業計画書』萩市都市計画局(2000年)
  3. 『萩市浜崎伝統的建造物群保存地区保存計画』萩市(2001年)
  4. 『萩市堀内・平安古地区伝統的建造物群保存地区見直し調査報告』萩市(2004年)
  5. 『萩市佐々並伝統的建造物群保存対策調査報告書』萩市(2008年)

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白川村荻町(岐阜県大野郡)

【原稿執筆中】

  1. 『白川村荻町合掌造り集落の環境資源~伝統的建造物群保存地区環境資源の調査及び保存整備計画』世界遺産白川郷合掌造り保存財団(2006年)
  2. 『白川村景観計画』白川村(2008年)

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筑後吉井(福岡県うきは市)

1994年より1年間、伝統的建造物群保存対策調査を担当、1995年に『吉井町 伝統的建造物群保存対策調査報告書』を刊行。1996年よりうきは市(旧吉井町)伝統的建造物群保存地区景観保存審議会委員(2010年まで)を務めながら、『吉井町筑後吉井 伝統的建造物群保存地区保存計画』策定(1996年)、『筑後吉井 伝統的建造物群保存地区修理修景マニュアル』(2000年)を刊行するなど、様々な保存整備事業(国交省街なみ環境整備事業など)の計画立案や現場における修理、修景事業の監修等に参画。筑後吉井は、伝統的建造物群保存地区保存計画をマスタープランとしながら、街なみ環境整備事業を用いて町並みの修理・修景を行うモデル事例となった。

  1. 『吉井町筑後吉井伝統的建造物群保存地区保存計画』吉井町教育委員会(1996年)
  2. 『筑後吉井伝統的建造物群保存地区修理修景マニュアル』吉井町教育委員会(2000年)
  3. 『吉井まちめぐり案内(ガイドマップ)』吉井町教育委員会(2001年)
  4. 『筑後吉井伝統的建造物群保存地区修理修景マニュアル 概要版パンフレット』吉井町教育委員会(2001年)

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八女福島(福岡県八女市)

1996年より2年間、伝統的建造物群保存対策調査を担当、1998年に『八女福島 八女市福島伝統的建造物群保存対策調査報告』、『八女福島地区まちなみ修理・修景マニュアル』を刊行。2002年より八女市文化的景観審議会委員(2010年まで)を務めながら、『八女市八女福島伝統的建造物群保存地区保存計画』策定(2002年)など、様々な保存整備事業(国交省街なみ環境整備事業など)の計画立案や現場における修理、修景事業の監修等に参画。八女福島は、空き家対策の先進モデル地域、日本の町並み保存運動をリードする地域として着目されている。

  1. 『八女福島地区まちなみ修理・修景マニュアル』八女市(1998年)
  2. 『八女市八女福島伝統的建造物群保存地区保存計画』八女市(2002年)

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黒木(福岡県八女市)

【原稿執筆中】

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神代小路(長崎県雲仙市)

神代小路は、Uターン者を温かく迎える閑静な住宅地を将来像に掲げ、観光開発を目指さない伝統的建造物群保存地区としてユニークな存在をアピールしている。【原稿執筆中】

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浜庄津町浜金屋町/浜中町八本木宿鹿島浜宿(佐賀県鹿島市)

鹿島市 浜庄津町浜金屋町および浜中町八本木宿は、2地区が隣接しながら、酒蔵の町並みと草葺きの町家が立ち並ぶ町という全く異なる個性を放つ町並みとして注目されている。【原稿執筆中】

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秋月(福岡県朝倉市)

【原稿執筆中】

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宮島厳島神社門前町(廿日市市:未選定)

【原稿執筆中】

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内子町八日市護国

【原稿執筆中】

 

 

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